パリまであとなんコギ

交通事故にて頸椎骨折し障害を得たリカンベント乗りが再びパリ・ブレスト・パリを完走するまでの記録(予定)

M429 指宿600k Heaven Week 2nd Stage 800/1500

さて、200kmをクリアして2ndステージは別府から指宿へ向かう600km。
200kmはさっくりと終わってしまったのだけど、この600kmは濃さが違う。
まさに、まさに↓こんなセリフがよく似合う感じ。

BRM501_400km「BRM428がやられたようだな…」
BRM429_600km「ククク…奴は四天王の中でも最弱…」


■2nd Stage BRM429別府〜指宿 600k
ルート:http://yahoo.jp/JlsoeO

200と違って今回は高い峠はなし、登っても200mちょい。
海岸線を走るのでアップダウンと風に注意したいところ。
あと、本コースの目玉である桜島一周がなかなか大変そう。行程的には問題ないだろうけど、路面に降り積もってるはずの火山灰を噴火で上から降ってくる灰が注意すべき点であろう。
また、天気予報は夜から雨を示しており、気温がどれくらいまで下がるのかが問題であろうなどと考えていた。

さほど苦しむこともなく追われるだろうと出走前の時点では思っていた。
いまだかつてないエクストリームなブルベになるとは知らずに…


〇スタート〜PC1佐伯 89km

600のスタートは朝6時、早いのだ。
200で痛みがでたアキレス腱は夜のうちに氷で冷やしておいたので痛みは引いている状態。
今日はアキレス腱に負荷のかからないようなペダリングをしないと600kmの長丁場なので厳しい。
朝4時半に起床し、ドロップバッグの準備やらをしていて最後にEdge800に今日のルートを読み込ませようと思ったら、ルートが正しく読み込めていない!
なぜか宮崎から指宿への直線ルートを示してる…
いや、これダメだろ。DLしたファイルが破損していたか、取り込みの時に何かエラーがあったのか…
困った。近畿ならいざ知らず土地勘のない九州でしかも600kmだ。GPSでルートを示してくれるにこしたことは無いのだけど…
とはいうものの、データを再取り込みしようにもPCなんて持ってきてないし、宿泊のホテルに共有PCなんてない。
まぁ、道路標識の識別が難しくなる夜まではキューシートのみでもなんとかなるだろうとお気楽に考えて朝ごはんやらを済ませて受付を行う。
どこか良いタイミングでネットカフェにでも入ろう。

朝のお天気は快晴で若干の肌寒さはあるものの走り出せば問題ないレベル。
都井岬を目指せ!』というAJ福岡代表のブリーフィングを終え、出走を始める。

出走してしばらくは信号地獄に悩まされるものの、郊外にでてからは海岸線のリカンベント向きの快走路っ!
朝日を浴びながら気持ちよく走る。


青く広い海、輝く太陽、新緑に彩られた山!走っていてとても気持ちの良いコースだった。

時間:3:46:00 距離:88.50 区間Ave:23.5


〇PC1佐伯〜PC2延岡 182km
このHeaven Week期間中の食事は極力その土地の食べ物を食べたいと考えていたため、PCでの補食は軽く済ませる。
なんか旨い物、ええもんないかな〜と思いつつ走っていると蒲江に入ったあたりからこんな看板が増えてきた。

「蒲江の魚は旨い」

んー そうか、そうか、魚が旨いっすか〜
魚食べたいナァ、どこぞに喰えるところないですかぃな?っと思ってたところに蒲江の道の駅出現!
0.002秒の判断で道の駅へピットイン。
っと、道の駅に入ったらランドヌールの姿が沢山。
みんな考えること同じだな(笑


海鮮丼を頂き欲望を満たす。
GW期間に入ってるので道の駅はなかなかの賑わいで、お客さんが多い。
どうもリカンベントは珍しいようで、いろいろと質問を受けつつ出走。
「がんばれー」と送り出していただいた。

時間:5:12:47 距離:93.93 区間Ave:18.0


〇PC2延岡〜PC3佐土原 256km
延岡といえばチキン南蛮発祥の地!
チキン南蛮喰うべ〜と思ってたが、先の道の駅での海鮮丼がまだ腹に残っていたため、後ろ髪をひかれる思いで泣く泣くチキン南蛮はパス。
代わりにEdge800へルートを入れなおすべくネットカフェへ。
ルートのDLと読み込みをサクサクと済ませてから少し眠気も出てきていたので30分ほども仮眠を取ろうかと思っていた。
が、ルートはすんなり読み込めず、結局1時間格闘してみたもののダメという結果になった。
ルートも読めず、仮眠もとれず。全く持って無駄な1時間停止となってしまった。
あとからよくよく考えてみると、600km全工程が長すぎるので適切な長さに分割しないといけなかったのだけどもそこまで思い至らず…
仮眠はまぁ良いとしても夜間走行のルートアウトが非常に心配。
だけどもどうしようもないので、キューシートと距離を良く見て走ることを心がけることにする。
まぁ、なんとかなるでしょうよ。


都農あたりだったか、列車の高架線にパネルが連続して設置されているちょっと異様な物体を発見。

あら、なんだろうか?リニアモータの実験用かぃな?と思って走っていた。

あとで調べてみるとリニアの実験線を利用したソーラー発電施設なんだね。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/chiiki/energy_plan/page00214.html

珍しい物を観れたと思いつつ日が暮れて闇に包まれる。
景色を楽しむことを奪われ、淡々と走っていく。

時間:4:29:27 距離:74.12 区間Ave:16.47


〇PC3佐土原〜PC4都井岬 360km
時刻は20時頃、すでに予報通りポツポツと雨が降り出してきていた。
天気予報によると朝まで雨は止むことは無し。
ここから先のPCまでは約100kmほど、岬を目指して走っていくので補給できるところが少なくなる。
岬の手前の南郷から志布志までの70kmほどはなーーーーーんにも店がないそうな。
さらに、気温も下降気味。


夜、雨、気温低い、店が少ない、岬へのアプローチと中々の障害が待ち受けている。

雨、いやだな…と思いつつPCを出発。
どこぞで晩御飯を食べたいが、せっかく宮崎を通過しているのだから郷土料理の冷や汁を食べたい。
でも、事前調査ができていないのでお店のチェックができていない。
雨だし、夜だし、店調べてないし、こりゃ無理かと思いつつ走ってると出てきた冷や汁ののぼり!!!!!
念願かなった!とお店に飛び込み、チキン南蛮と冷や汁にありつくことができた。


http://r.tabelog.com/miyazaki/A4501/A450101/45000758/


冷や汁をご飯にかけていただく。
シャキシャキきゅうりうまうまーーー!!!!

…うまいけど、体冷えるね。
まあ冷や汁だしね。暑い夏の食べ物だしね。
雨で濡れそぼった体をさらに冷やす感じ。



都井岬へ向けてぼっつらぼっつらと走っていく。
雨のせいで視界が悪い。雨コンディションで初使用となるE3 Tripleの灯火も心なしか暗い。
とても路面が見づらい。というか見えない。
こんな明りで、大丈夫か?
と、サブライトのTrustFireを点灯したが、つかず。
…どうやら雨で水没してしまったようだ…

すでにこのころには合羽の中までぐちょぐちょ。体が濡れるとエネルギー消費も高くなって疲労がたまりやすい。距離も300km近くなってきてソロソロ疲れても出た。

都井峠はまだか…と走っていると突然右側面側へ転倒。
なんだ!?なにが起こった???
と地面に転がってじたばたしてようよう起き上がる。
みると若干の下カーブの橋で道路に対して斜めにつなぎ目がある。

こんなの!!こけろと言ってるようなもんじゃないか!誰だ設計者は!アホか!

肉体のダメージはリカンベント特有の肘のみ。みると合羽は破れてないのでさほど被害は大きくないかな?
車体はボトルゲージとRDとシートが若干削れたものの、走行に支障がでるものはなし。

一体どこにクレームを入れれば良いのかと呪いの言葉を吐きながら走り出す。
あとでいろんな人の話を聞くと、このななめ溝で10数人は転倒したそうな。なかにはヘルメット割れや、岬まで辿りついたものの気分が悪くなってタクシーで帰られた方もいたそうな。
ほんま、ちょっとこの道路の作りはあかんで。


すっかりテンションダダ下がりの雨のなか岬へのアプローチへ。
駒止の門を開けて登っていくが、ガスが発生していて視界が最悪なうえになかなかの斜度がある。
さらに、風がきつく海岸に面したところでは突風に吹かれ体温とスピードを容赦なく奪っていく。


寒い、斜度キツイ、暗い、雨降ってる、ガスが発生してる、強風が吹いてる、眠い、野生の馬が出没する、馬糞が落ちてる。


これは…シンドイでっ!!!!!!!!
GPSが使えないので登りがいつ終わるか確認することもできず、闇の中を登っていく。
ガスのおかげでますます路面が見えず、さらにストレスがたまる。
E3のライト…あかん子か?


福岡のブルベは過酷だっ!と思いつつ、
これ、本来は「すげーーー星がきれいだ!」なんて言いつつ走ってる予定なんだろうなぁと思いつつペダルをこぐ。


時折岬から折り返してきたランドヌールにすれ違い、残り距離を尋ねて心折られながらペダルをこぐ。
そしてようよう、やっとこ都井岬へ到着した。

時間:7:02:13 距離:103.79 区間Ave:14.7



もう、疲労困憊。
でも、もう山場は超えたと思った。
この先に待ち構えている試練も知らず、屋根のあるところにたどり着いたことを喜ぶ夜の2時過ぎであった。


つづく。