パリまであとなんコギ

交通事故にて頸椎骨折し障害を得たリカンベント乗りが再びパリ・ブレスト・パリを完走するまでの記録(予定)

キャノンボールに憧れて -番外- 遠い家路

キャノンボールの走行記を書き終わったのは8月下旬。当時は事故のことも記そうと思っていたのだけど、さすがに楽しいサイクリングの記事とは違い入院のことは書きづらい。気が進まない。
いや、そもそも入院の記事を書いてもなんら楽しくないだろうし、見てくれる人もそんな記事をアップされても困るだろう。
でも、続きがありそうな終わり方だったから書かないといけない…でも気が進まない…

そんな、こんなで放置して夏が終わって秋がきてもう冬。
というか、今日があの事故からちょうど1年だ。
今日を逃すともう一生書かないし、機会を逃すと書く勢いが出ないだろうと思いたち、筆を取ってみる。(キーボードをぽちぽちしてるだけだけど)


というわけで、キャノンボールの最終編。事故から入院です。
あまり楽しくない内容ですし若干グロい写真もありますので、そういったものに弱い方はここでご離脱をお願いいたします。


2013/1/26 夜9時20分ごろ
街頭がすくなく暗い道を一路東京へ向けて走っていく。
ここは静岡は袋井。そういえば初めて参加したブルベは静岡の300だったなぁ。袋井かぁ懐かしい。
などと考えながら走っていく。信号で停止。家人にメールを送る、「今静岡です。寒いわぁ〜」と。
走り出す。寒さでエネルギー消費が多くなってる、何か暖かいものをガツっと食べたいな。もう少し走ればにぎやかなところに出るから、適当な店を見つけて入ろうね。



……
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この次に続く記憶は病院のベッド。なぜか寝かされて天井を見ている。
「え??なにれ?」
少しパニックに陥る。
すると誰かが答えた。
誰か:「気がつきましたか?」
私:「え??なにれ?どこここ??」
誰か:「車との事故で病院に運ばれてきたんですよ」
私:「ええ!?そんな困る。すぐに家に帰してくれ」
誰か:「それは無理ですね。首の骨が折れてますから」


くびの骨がおれて…る?そんな馬鹿な?
そんな馬鹿な…馬鹿な…馬鹿な…馬鹿な…
そして意識を再び意識を失う。


後から警察の人に聞くとどうやら交差点で車にはねられたらしい。車に撥ね飛ばされその後コンクリート壁に激突したらしい。
本人は一瞬で意識を刈り取られたのでまったく覚えてない。覚えてるのは家人にメールを送ったところまで。


そして事故で得た怪我は
頭蓋骨骨折

頚椎骨折

脳挫傷
脊髄損傷


なかなかの重症だ。
翌日にはちゃんと受け答えをしてたらしいのだけど、まったく記憶に残っていない。頭を強く打った影響でぼんやりしていたのだろうね。
そんなぼんやりする頭で体が動かせないことを不審に思うのだった。


そんな感じで、病院へ運び込まれて入院生活が開始される。
当初は1、2ヶ月もあれば家に帰れると思っていたが大甘だったことを思い知る。


■入院〜2月上旬まで
意識はあったものの、この時期の記憶はほとんど残っていない。
短期記憶から長期記憶へのルートが障害をおこしていたのだろう。
ずっとベットで寝たきり。
痛みは無いのだけど、胸から下が麻痺していて動かせない。感覚もない。また、右腕にも麻痺がでていて握力が2kg程度。鉛筆ももてなければスプーンも満足に扱えない。
そんな感じなもんだから自分では寝返りも打てず。ずっと上向きで寝ていると背中が痛くなったりするもんだから、動かしたくなったらナースさんに体を動かしてもらうのだ。
壮健だった体が今や人の力を借りなければ満足に動かせない。
なんとも情けない限りだ。


■2月上旬〜
精神活動が活発になってきて、あれやこれやと物事を考えるようになる。
体の故障状態が把握できてきた。
麻痺は胸から下全部と右腕にあり。
右腕は使い物にならないくらい握力が低下。
右脚は動かそうと思えば動かせるが、感覚の痺れがひどい。
左脚は自分の意思では動かせない。そもそも左脚がそこにあるのか無いのかすら分からない。
ずっと病院の天井を見つめ続ける毎日。
己の体の状態を把握し、絶望に駆られる。
超絶ネガティブな精神状態になり、見舞いに来てくれている家人に暴言を吐きそうになる。


■2月中旬〜
体を洗ってもらう。自転車で移動して汗かいたままだったので、嬉かった。
ベットを起こして体を起こす練習を開始。
2/18には折れた頚椎の切除手術。
相変わらず精神状態はネガティブ。「あのまま死んでいれば楽だったのに」と思うことしばしば。
麻痺の状態は相変わらず。


■2月下旬〜
本格的にリハビリが開始。
体を起こして座ったり、ベットから足を下ろしたり。
車椅子への乗り移りの練習も始まる。
まったく足に力が入らないので補助してもらいながら。
車椅子へ初めて座ったら、血圧が低下し意識を失う。起立性低血圧だ。


■3月上旬〜
麻痺も相変わらずだが、車椅子への乗り移りが一人でできるようになる。
相変わらず精神状態はネガティブだが、体を動かせるようになり上向きになる。
ずっと入れていた尿の管が取れた。ようやく自由の身になった。
体は少しづつマシになってきてるが、頭が悪いことが発覚。

九九と繰り上がりの計算ができない。

7+6= とか 13-8= とか桁の繰り上がり繰り下がりの計算に異常に時間がかかるようになる。
九九も7の段以降は分からなくなった。
計算ドリルをやり始める。


■3月中旬〜
歩行器や杖をついての歩行リハビリが始まる。
筋力が低下しまくっているので、ひたすら体を動かして刺激を入れる毎日。
調子に乗ってスクワットをやってみようとした。しゃがみ込んだらまったく足に力が入らず。床にへたり込む。手すりをつかむが立てない。かわいい看護師さんに助け起こしてもらって怒られる。


■3月下旬〜
大阪の病院へ転院。2ヶ月ぶりに大阪に帰ってきた。うれしい。
友人たちも見舞いに来てくれて、元気がでる。

どんどん体を動かしてリハビリを続ける。
4月下旬には杖なしでもOKの許可が出る。
毎日歩いて体を動かす。


その後は、ひたすらリハビリして5月31日に退院。
家を出発して5ヶ月ぶりの帰宅となった。
なんて長いサイクリングになったことか?そして失ったものは多い。
その後、日常生活のリハビリを行い。7月に職場復帰となりました。
いまだに麻痺は残ってるけど、ひとまず日常生活には問題ないレベルには回復ができた。
病院の先生などにも奇跡的な回復といわれたが、まだまだ満足できるレベルには達していないのでもっと上を見てこれからもがんばっていきたい。


今回の事故では家人、職場に多大な迷惑をかけてしまった。
友人たちにも心配をかけてしまった。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

大人なら遊びで怪我してみんなに迷惑をかけてはいけないのですよ。
元気に行って帰ってくる、これが本当に大事。


本当に今、命があることに感謝。ありがとう。